職業と資質の話
こんにちは。
この度は数ある記事の中から、このブログにアクセスいただきありがとうございます。
今回は、「職業を夢見ることは自由だけど、なるかどうかには資質ってものがあるんじゃないかな?」という話をしたい。
これは、私が大学時代のバイト先で体験した実体験から立ち現れた「?」である。
〇考え始めたきっかけのエピソード
これは大学3回生を過ぎた頃の話である。
この頃の私は近所の塾でバイトさせてもらっていた。その塾は、いわゆるお受験塾ではなく、学校の勉強から取り残されている子ども達を相手にする塾だった。
6年生になっても、足し算や引き算が指を使わないと出来ない子。
分からない問題があるとパニックになったり、フリーズしてしまう子。
そもそも、じっと席に座って何かをすることが難しい子。
とにかく、色々な子がいた。
当時、教員免許を取得する方向で単位等はとっていたものの、学べば学ぶほど「本当に私は教員という、誰かを教え導く仕事ができるのか?その資格はあるのか?」と自問自答するような日々であった私にとって、その経験は得難いものであった。学習に困難さを抱える子、対人関係が難しい子などの対応を学び、その理論を実践できる場であったからだ。
さて、そんな日々を過ごしている中で、締め作業が終わりに差し掛かった頃、塾長に声をかけられた。
ちょっと見てほしいものがある、ということだった。
この時期、幸いにも実践が成功しており、入塾時に「ちょっと難しい子」と判定される子(何らかの理由で勉強に取り組むのが難しい可能性が高い子)を任せてもらえるようになっていたため、その相談なのだろうと思った。
見せられたのは塾の入塾時テストの回答だった。テストは中学2年生の入塾者を想定したもので、小~中1までの学習内容を総ざらいしているものだ。想定通り、かなり酷いものだった。
分数の足し引きは、分母と分子を通分することもなく、そのまま足し合わせている。
例)5/8+7/9=12/17
英語に関しては、Be動詞と一般動詞の質問文の使い分けができていない。
例)「あなたは英語を話しますか?」⇒ Are you speak English?
国語も小学校で習う漢字のミスや、簡単な説明文が読み切れておらず悲惨なものだ。
ザッと見ただけでも、相当学習の遅れがある生徒さんなんだな…とわかる程度にはよくない結果だった。
「中学生の生徒さんですかね?この調子だと、小学校から総ざらいっぽいなぁ。いつから入塾されるんですか?」
そう聞くと、塾長が首を横に振った。
「この人、今度うちの塾の講師として働きたいって言ってきてる大学生の子でねぇ。」
愕然とした。どう考えても、義務教育レベルの学習が頭に入っていない。
「小学校教員になるってことで、教育学部に入学したらしくて。実際の経験も積みたいから、ってうちに来てくれたんだよ。」
さらに愕然とした。この調子では、実際の経験どころではない。まずは、自分の現状を見つめ直すのが先だ。
幸い、塾長のほうでお断りしたそうだが、「こんなレベルの大学生が、それも、教員になるために教育学部に入ったという学生がいていいのか…?」と驚かされた。
〇私の考え
この疑問を本格的に考え始めたきっかけはもう一つある。それは、「警察学校に行ったはいいものの、壮絶な虐めにより中退した。」という旨の漫画である。
私は、酷い虐めやハラスメントは許されないことを前提とはするものの、「この人のように、なりたい夢に対しての適性がない、不適切な属性がある人が、夢を追いかけた結果、適応できずに潰れてしまったり、トラブルメーカーになってしまうのは別の問題として考えるべきではないか。」と考えている。
今回の私の経験談も、上記の件と問題は同じだと考えている。
そして、その問題とは以下の3つではないか、と考えている。
①適性や資質と、現在の自分の技能値を適切に認知できていない人がいる。
②メディアでは「適性がなくても、努力さえすれば人はなんにでもなれる!」というメッセージが発信されることが多く、「それを否定するのは酷いことだ」というイメージが合わせて発信されているパターンが多い。
③①の条件に当てはまる人が、明らかに資質や技能が足りていない方向に進もうとしている時、②が原因で否定しにくい現実がある。
大抵の場合、①に当てはまる人は自分を客観視できないか、社会経験が圧倒的に乏しい。社会経験というと語弊を招くが、要は「現実とは、基本的には創作物のようにはいかないものだ」という認知を獲得することだと考えていただきたい。簡単に言うなら、ドラマや漫画で描かれていることは、日常生活ではまず起きないということを認知することである。
だが、①の人は自分の現状や現実を見ることが難しい。だから、ズレる。
勉強が出来なくても、努力すれば奇跡が起きて、15年間遅れた勉強を3年半で取り戻し、教師になれる。
コミュニケーションも物の管理も苦手だけど、その環境に入れば急に環境に適応できて、一人前の警官になれる。
それは、どこかで自分は名作ドラマや売れている漫画の主人公のようになれるものと思っていて、「頑張れば報われる」を低い解像度のまま突っ走ってしまっている結果として、ズレた出力をしてしまっているパターンだと思われる。
そして、個人的には、これは本人の自己肯定感の高低などは関係ないと考えている。
人と関わる経験がない等から現実の解像度が低いこと、創作物の世界に触れる機会が多く、人生のモデルケースとして創作物の世界ばかりが取り込まれていることが、①の認知を造り上げる原因となっているからだ。
自分は主人公ではないと頭ではわかっていても、それ以外にどう生きたらいいのかわからない。いわゆる、「生き辛い人」ほど①になりがちなのではないだろうか。
そして、②のように「夢を追う」「憧れを追う」系の創作物では、どうしても「追う」ことが正当化されがちだ。そうでなければ、話として面白くないから仕方がない。
とはいえ、大抵の場合、「追う」側の主人公は、隠れた才能や、恵まれた環境、運が絡んだ結果、夢を叶えている。だが、①の人はそれを見落としているか、それが自分にも当然起こる事と認知しているように思う。実際の現実世界を見れば、それがいかにレアケースであるかがわかるのだが、それを認知できる環境にいなかったり、生まれつきの特性故に認知が難しかったりするのだろうと想像は出来る。
では、認知が難しいなら外部から伝えればいいのでは、と考えた。
だが、①の認知の人に②の現状が加わると、「いやいや、現実見た方がいいよ。」が素直に聞き入れてもらえなくなる。なぜなら、自分が主人公の世界で、そういう話題を①の当人に振ると、「この人は自分の物語を邪魔する人だ!」と無意識化に認識してしまう可能性が高いからだ。②で語られる物語では「現実を見ろ」と忠告する人は、大抵の場合、主人公を邪魔するポジションの人間として描かれる。そういう状況下において、創作物を自身の人生のモデルケースにしている①にとっては、現実はただの忠告をしてくれた人ですら、悪役認定を行ってしまう。悪役の話なんて聞いても意味がない…と認識してしまうから、話が聞けず、突っ走って適応できずに心が折れたり、集団から排斥されてしまう。要は、悪循環にはまるのだ。
伝えても悪循環にはまり、伝えなくても別の悪循環にはまる。この状況をどうにかしようと思うなら、恐らく専門家の助けを借りる必要があるだろう、とは思う。
今でも、どうすれば「夢を見る前に、一度現実を見直して」が適切に伝わるか、自分の中でも答えが出ない部分である。
当ブログについて
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